いつ完成するんかねー

千羽鶴を折り始めた。
突然。


折り紙、昔々からけっこう得意で、前はよくやっていたのに、最近さっぱりだった。
そんでなんで急に始めたかというと。
江國香織さんの「流しのしたの骨」を読んだからだ。


きらきらひかる」も読んだ。
前に読んだときは、面白いなあ、いいお話だなあ、としか思わなかったけど、今回は、読みながら、ボロボロ泣いた。
メインキャラクター達の気持ちが突き刺さるように感じられて、痛かった。
この人、表現の仕方がとても面白くて、ツボをついている。
「私は胸がしわしわになった」という一文を読んで、その感じが自分の胸に我がことのように感じられて、バカみたいにうわーと泣いた。

この2冊、ずっと前に、友達が送ってくれたものだ。
高校の時の友達で、今は連絡が途絶えている。つてをたどっていけば、たぶん見つかるだろうけど、なんか恥ずかしい。いまさら、なんじゃと思われてしまうかもしれない。
でもやっぱり一度は連絡しておきたいなあ。
「生きてます」と。
彼女、とうとう結婚したらしいと聞いた。おめでとうだったね、どんなん今、と話したい。
昔くれた本、今すごいお気に入りだよ。と伝えたい。



千羽鶴の話に戻ろう。
そんで、折り紙のことは、「流しのしたの骨」の主人公がやっていたので「あー久しぶりにやりたい」と思ったからだが。
なんで千羽鶴か。


今、すごく叶って欲しいと思っていることが一個ある。
イヤ、一個じゃないんだけど。でも、一つの流れとしてみるなら、一個。
それ、かなえるためには、自分からある行動を起こさないといけない。
それ、やろうと思えば、今年後半の間に出来ていたはずなのだ。
なんで出来なかったか。
なんでやる気になれなかったか。


それを考え始めたら、それが本当にやりたいことなのか、自分の夢なのか、分からなくなってきた。
始めてのスイッチフットのコンサートの後、これだ、と強く心に誓ったはずなのに。
いまはそのヴィジョンが、どうもあいまいになってきていて。
本当にやりたいことなら、何があってもやり遂げているはずだろう?
やってなかった、ってことは、そんなにやりたいことではないのかもしれない。


これをしばらく自己問答した。
落ち込んでる時に自己問答するもんじゃないね。アホちんばっかりでするどうどうめぐりのビジネス会議みたいだ。でもまあ、した。
で、回答は、やっぱやるしかない、ということだ。これしかない。残されたチャンスは。
夢なぞ、チャンスなんぞ気にせずに、のたらくたらと生きていくという生き方もあるが、私の場合それを決めてしまったら、あと一年もたないだろう。


で、その決心の強さを自分で実感するために、鶴を折り始めた。


千羽鶴は、今までに一度だけ、自分で全部(ほとんど全部。時間があまりなかったから友達がちっと手伝ってくれた)折った。
それは人の為に折ったものだった。
効力があったかどうかは分からないが、感謝された。
折っている間、ただ一途だった。そのことがうまくいくように、自分の力は及ばないが、応援する心をせめてもと、一生懸命折った。


今回応援しているのは、自分自身だ。自分の夢だ。
そこにたどりつきたいのだ。生きてて良かったと心から感じたいのだ。
まだ、そのことをスタートする以前に、いっぱい越えなければいけないハードルがある。
そのことを頑張れたとしても、うまくいくためしなんてない。
賭けてみるしかない。
当たってくじけろ。
当たってみる前からくじけていた半年間。
もうこのままでは生きられない。
動き始めないと、息もできない。
毎日、少しずつ折ることで、それを自分に言い聞かせる。


さて、毎日少しずつっても、いったいどれくらい折れば、どんだけの時間で完成するのか。
えーと、千羽だから・・・


一日五十羽折ると、二十日。
一日三十羽折ると、一ヶ月とちょい。
一日二十羽折ると、五十日。二ヶ月近く。
一日十羽折る、と百日。三ヶ月ちょい。


ひえ〜〜〜〜〜〜〜。
けっこうかかるな。(爆)(アタリマエだ。)
一日目は頑張って30くらい折ったが、そんでも一ヶ月以上か。
二日目からはサボって、10くらいしか折ってなかったから、このペースでいくと三ヶ月以上か・・・
むごご。来年頭には完成させたいよな。もっと急がにゃ。


昔習った、チョンボのやり方(チョンボではないが、自分的には特別な紙を折るとき以外は邪道)を思い出してやってみた。
折り目を先につけといて、ぱぱっと折り上げられる。折り紙二枚いっぺんに折り目をつけてやると、早い。三枚でやったら折り目が弱かった。やっぱ二枚が限度だ。
これ使って、なんとか頑張ろう。
好きな音楽かけて、歌いながらやろう。


経過はここで時々書きます。
書くのを忘れていたら、思い出させて下さいませ。